【明日誕生日なので】祝われない自分の誕生日が怖い話

考察
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小学生くらいの頃はあんなに自分の誕生日が待ち遠しくてたまらなかったのに、いつからこんなに憂鬱な日になってしまったのだろうか。

例えるなら、体育の授業でマラソンがある日のような…全校生徒の前で怒られているような…大型連休が終わった後の月曜日のような…

それくらい自分の誕生日が憂鬱です。憂鬱を通り越して、嫌いも通り越して、むしろ怖い。

筆者の誕生日が明日なのですが、誕生日が近づいていてどんどんセンシティブな気持ちになってしまったので、誕生日が怖い人間の心境を新鮮なうちにブログに書き留めておきます。

かなりネガティブな投稿なので、しめったい気持ちになりたくない方はそっと閉じてくださいね。

 

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誕生日が怖い理由

インスタのストーリー

誕生日が嫌いだなって思うようになってしまった理由に、インスタをはじめとするSNSの普及の影響がある気がします。

最近の若い子ってみんな、友達の誕生日にストーリーでお祝いしたりするじゃないですか。

あれも誕生日を祝われない人間からしたら、「今日って確か〇〇ちゃんの誕生日だけど、誰もストーリーでお祝いしてないな…。友達少ないんだな…。」って思われてるんじゃないかと思って萎縮してしまいます。

友達の誰か一人が気づいてストーリーでお祝いしてくれたら、それを見た他の友達がようやく私の誕生日を思い出してくれて、義務的にぽつぽつとお祝いストーリーが連鎖していくのも虚しい。他の子は0時きっかりにみんなからお祝いされてるのに。

 

さらにストーリーでのお祝いって、勝手に顔写真を載せられることもありますよね?

あれも自分の顔が好きじゃない人からすると、恥ずかしくて仕方がないです。隣に可愛い子が映っていてあぁ引き立ててるな〜って卑屈になっちゃいますし、自分の写真映りが悪い写真を載せられても、せっかくお祝いしてくれている友達にやめてくれとも言えず、早く24時間が経過して自分の誕生日が終わることを祈るしかない。誕生日を前に隠キャはあまりにも無力

 

SNSが普及したせいで、彼氏にいいレストランに連れていってもらえた子とか、素敵なプレゼントをもらった子とかの幸せそうな投稿がすぐに目に入ってしまうので、そのたびに自分と比べて鬱になってしまいます。完全にSNS疲れですね。

 

友達の居なさを痛感する

誕生日に切り替わった途端にLINEの通知が…くるわけもなく、浮き足立つ自分の気持ちと相反してお祝いメッセージが全然来なくて、誕生日なのに自分の友達の居なさを痛感して1日が始まるのが辛いです。ちゃんと友達の誕生日お祝いしてるの?と思われがちですが、これでも自分ではしっかりしているつもりです。1日遅れてしまったとしてもしっかりお祝いのメッセージを送っています。

なかなか自分の誕生日を教える機会がないので、毎年祝われないままやり過ごしてしまっている私もよくないなあと思います。ですが自分から「今日誕生日です!お祝いしてください!」ってアピールするのもちょっと恥ずかしい。

 

中身は成長していない気がする

数字が一つ増え、毎年明確に年齢というステータスを重ねていくのに対し、私自身の中身はちゃんと 年齢に比例して成長しているのだろうか?と考えると不安になってしまい、誕生日がくるのが怖いです。

年々学歴やスペックに対するコンプレックスが強くなっている気がします。

ただでさえ歳を重ねるに連れて「若さ」「外見」というステータスが下がっていっているのに、中身の成長が伴わない自分に焦りを感じてしまい、このことを考えるととても呑気に誕生日を喜んでいられなくなります。

 

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人生で一番虚しかった22歳の誕生日

22歳の誕生日は一人で過ごしました。Twitterでもインスタでも特に祝われず、休日でしたが何も予定はなく、昼まで寝て1日中1人で過ごしました。

「あぁ自分ほんとに友達いなんだな…」って悟ってしまい、虚しくていても経ってもいられなくなり夜に一人で飲みに出かけたましたが、自分が哀れで帰り道に泣いちゃったのを鮮明に覚えています。

たぶん22歳の誕生日が人生で一番祝われない虚しい誕生日でしたね。

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思えば高校の時から誕生日が怖かった

よく思い返してみれば、中学高校あたりから誕生日は嫌いでした。

クラスの中心にいるような明るい子って、パイ投げとかされてたりクラスみんなからプレゼントもらってたり、男女問わず盛大に祝ってもらえてるじゃないですか。

対して私は昔から交友関係が広く浅かったので、おしゃべりできる人は多くても休日に一緒にお出かけするような友達はいないみたいな…もちろんわざわざプレゼントくれる人もいなかったですし。

 

祝われていない私を見て「友達いないんだな」って思われるのが怖くて、それならいっそ誰にも誕生日を気づかれたくなくて、自分の誕生日が夏休みとかお正月と被ってたらよかったなあと何度思ったことか。

でも反対に8月生まれの子は、自分の誕生日が夏休みとかぶっていて祝ってもらえないのが嫌だったかもしれないので、一概に羨ましがっていてはいけないですね。

期待をしすぎてはいけない

これまでの20数年を振り返り、自分の誕生日を盛大に祝ってもらえると過度に期待しすぎたのがいけなかったのかなと気付きました。

自分が友達の誕生日をお祝いしたからと言って、友達が自分をお祝いしてくれるとは限りません。ただのモブキャラにすぎない自分の誕生日なんて普通の平日に変わりないので、よっぽどアピールしない限りは普通に忘れられてます。

 

誕生日が憂鬱なのはきっとこれからも変わらないのでしょうが、自身の誕生日に対して過度に期待をしなければそれ以上憂鬱な思いをしなくて済みます。

 

誰からも誕生日を祝われる人生のゴールデンタイムのような幼少期は終わったのだ。

もう大人になってしまった私の誕生日はなんでもない日なんだと諦めて、慎んでいきます。

 

推しの誕生日は全力で祝う

とはいえ、誕生日が嫌いなのは自分の誕生日に限ります。

推しの誕生日は毎年フルオーダーのケーキを注文して、シャンパンを用意して、これでもかというくらい豪華にお祝いしています。

↑こんな感じのいわゆる「本人不在の誕生日会」を毎年やっています。

推しへのお祝いは自分の誕生日への見返りを求めなくてもいいから楽なのと、自分が推しを祝いたいからという100%エゴで開催しています。

 

あとがき

以上が誕生日が怖い気持ちになります。

こんなネガティヴな考え方の人もいるんだ〜程度に留めておいてもらえると嬉しいです。読んでいて暗い気持ちになってしまった方はすみません。

来年こそは誕生日がきても怖いと思わないように、加齢に比例して自分の中身も磨いていきたいなと思います。

 

ここまで読んでいただきありがとうございます!お祝いの代わりにと言ってはなんですが、下記のブログ村のバナーを押していただけますと大変助かります。

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それでは、ここまで読んでいただきありがとうございました。

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